みなさんは「哲学」に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?

「難しいことを考えている」

「日常生活とは関係ないから別に知らなくてもいい」

そう思っているかもしれません。

哲学者はいろんなことを深く深く考えます。独自の視点で、そんな細かいところまで考えるの?と思うくらいのところまで考えます。

そして、それを言葉で説明するのですが、なぜかそのときにちょっと決め台詞っぽいことを言います。

「人間は考える葦である」とか「実存は本質に先立つ」とか。

そういう決め台詞の中で、なんか聞いたことがある!という人が多いのが、そう、「我思う、故に我あり」です。

※手っ取り早く「我思う、故に我あり」の」意味をしりたい方はこちらをどうぞ!

これから詳しく説明しますが、「我思う、故に我あり」は今から400年くらい前に登場した言葉です。

でも、不思議なことに、現代になっても映画とか漫画とかいろんなところで使われています。映画『ブレードランナー』のセリフやロックバンドの氣志團の曲名など…。

結構、日常の中に溶け込んでいる決め台詞なのです。

一方で、おそらくですが、「耳障りがいいからか、かっこよさがあるからか、理由ははっきりしないけれどちょっと印象に残っている。でも、どういう意味なのか、なんとなくわかるようで、わからない」という人が少なくないと思います。

今回の記事は、そのような方向けに、「我思う、故に我あり」について意味をはじめ、いろいろ解説しています。ちょっとだけ哲学の世界に、一緒に飛び込んでみましょう。

「我思う、故に我あり」の意味

「我思う、故に我あり」の意味

いきなりですが、結論から先にお伝えします。

「我思う、故に我あり」の意味は、

自分の周りにある事物や事柄のうち、少しでも確かではないと認められるもの(疑う余地があるもの)をどんどん捨てていくと、確かだと言えるのは、確かではないと認めている(疑っている)自分自身だけである

というものです。

……はい、ちょっと難しいですね。なんか頭に入ってこない、そう感じている人もいると思います。

なぜ難しいのかと言うと、この「我思う、故に我あり」が生まれるまでにいろんなことがあって、生まれたあともいろんなことがあったからです。

この説明文だけで「我思う、故に我あり」の意味を理解しようとするのは、Aさんという初対面の人のことを、顔だけで判断しようとするのと同じです。Aさんを知るためにAさんの人生エピソードを聞く必要があります。

とはいえ、いきなり根掘り葉掘り聞いてはAさんも引いてしまいます。まずはプロフィールを聞くのがベターでしょう。

というわけで、「我思う、故に我あり」も、プロフィール的なところからご紹介します。

簡単に表にまとめました。

「我思う、故に我あり」を言った人フランスの数学者であり哲学者の、ルネ・デカルト(René Descartes 1596-1650)
「我思う、故に我あり」が出てくる箇所初出は1637年に出版されたデカルトの『方法序説』。その後刊行された『省察』や『哲学原理』などにも出てくる
「我思う、故に我あり」の原語Je pense, donc je suis(フランス語)
※フランス語の読みは「ジュ・パンス、ドンク・ジュ・スイ」(『デカルト入門講義』より引用)

でも、その後翻訳されたラテン語の「Cogito ergo sum(コギト・エルゴ・スム)」のほうが有名

「我思う、故に我あり」で見ておきたいポイント2つ

さて、上記で「我思う、故に我あり」のプロフィールを確認してきました。

「コギト・エルゴ・スム?あー、なんか聞いたことがある!」となった人もいるでしょう。

少し「我思う、故に我あり」が身近になってきたのではないでしょうか。

では、次に、「我思う、故に我あり」が生まれるまでにあったいろんなこと、生まれたあとにあったいろんなことについてご紹介します。

「我思う、故に我あり」が生まれるまでにあったこと

「我思う、故に我あり」が生まれるまでに何があったのか。それを見ていくとき、ポイントとなるのがデカルトの学問への考え方と真理に対する姿勢です。

この2つを念頭に置きながら、以下、デカルトの生い立ちを一緒に見てみましょう。

● デカルトの肖像 フランス=ハルス画(1648年) ※Wikipediaより

Frans Hals – Portret van René Descartes

デカルトは、1596年にフランスのラ・エ(デカルトの功績を称えて同地は今「デカルト」と呼ばれています)で生まれます。

彼は11歳のときに、カトリック教団イエズス会が運営するラ・フレーシュ学院で8年間スコラ哲学(神学と哲学にかかわる学問)をはじめとするさまざまな学問を学び、その後ポワチエ大学で1年間法学を学びました。

幼い頃、デカルトは文字による学問で「明晰で確実な知識」、すなわち真理が得られると言われてきました。ですので、デカルト自身も、学校に入ればそれが手に入るんだ、と希望を持って学校に入ります。

ところが学校で勉強する中で、デカルトは次のように感じ始めます。「数学以外の学問は、良いところもあるが、悪いところのほうが大きい。これで果たして真理にたどり着けるのだろうか」と。

それでデカルトは、卒業後、文字による学問を放棄し、「世界という大きな書物」を見るための旅をします。書斎で考えをめぐらすより、各国を回って、いろんな考えを持つ人たちと交流したり、さまざまな経験をしたりしたほうが、はるかに多くの真理を見つけ出せると考えたからです。

その後、しばらく旅を続けていたデカルトですが、寒い冬がやってきたので、ドイツのノイブルクというところにとどまることにしました。

そこで、一旦これまでの旅を振り返ります。自分は旅の中で何を見てきたのか、何を感じてきたのか。

いろいろ思い出す中で彼が思ったのは、

● 文化には多様性あるいは相対性がある

● 賛成の人の数が多いからといってそれを真理と呼ぶことはできない

● ゆえに誰かの意見に頼ることはできない

● ゆえに自分で自分を真理に導いていかなければならない

ということでした。

真理を見つけたいときは、自分ひとりで考える必要があると思うわけですね。

それでデカルトは、真理にたどり着くための<新たな学問>を構築するのに必要な原理(ルール)を作ります。

しかし、そうすると今度はこのように気がつくわけです。

「自分が考えたルールを用いれば、学問で一定の成果を得ることはできる。だが、哲学が学問の原理なのに、自分はまだ哲学の原理を打ち立てていない」と。

デカルトは、哲学は人間が知ることができるすべてについての完全な知識と考えていました。<新たな学問>を打ち立てるために、私はまずその原理を掴まなければならない、と考えるのです。

そのため、多くの観察と経験積み重ねて精神を鍛えようとして、ふたたび各国を遍歴します。

2回目の旅は、9年におよびました。そして1628年の終わりに、デカルトはオランダに身を置きます(以降、デカルトは、住む場所は変えつつも、1649年の10月までオランダに住み続けます)。

そこでデカルトは、哲学における確実な原理を見つけるために、自分の中にある偏見や誤りを排除しようとして、さまざまなものに疑いをかけていきました(この方法を、方法的懐疑と言います)。

デカルトが具体的に疑いをかけたのは、自分の感覚や数学的真理です。

自分の感覚(視覚や聴覚)はときとして間違えることがある。遠くから見て石だと思って近づいてみたら、貝殻だったということがある。だから確かなものではない。

実際に触って、これは確実に存在すると思っていても同じである。なぜなら夢の中で、同じような感覚を覚えたりすることがあるからだ。今現に目が覚めている(=夢ではない)ことを示す確かなものは何もない。

あと、そういう自分の感覚に左右されない、一見すると真理しか言っていないような数学も、正しいと思っていたら間違っているときもある。

あきらかに間違っていないと思うものも、実は神が私たちに間違えるように仕向けているかもしれない。たとえば、四角形は4つの辺からなるが、本当は4つの辺ではなく、しかし4つの辺からなると神によって思い込まされている可能性が考えられる。だからこれも確かなものではない。

このようにして、事物や事柄を疑いに疑っていく中で、デカルトは気づきます。

「疑っている(確かなものを探している)間、

自分というものは存在していなければならない!」

そこからたどり着いたのが、「我思う、故に我あり」でした。

「我思う、故に我あり」が生まれたあとにあったこと

「我思う、故に我あり」というフレーズは、デカルトと言えば……というように、デカルトを代表する言葉です。

しかし、この命題が生まれた経緯を見てきてわかるように、デカルトが目指したのは真理にたどり着くための学問構築であり、「我思う、故に我あり」は出発点にしか過ぎません。

では、デカルトはそのあと何をしたのか。だいたい、次のようなことをします。

まず彼が行ったのは、神と物体の存在証明です。

方法的懐疑によって一度疑って捨てた神と物体の存在を、「いや、実は確かにあるんだよね」というような形で証明します。議論はややこしいので省きますが、目的としては事物や事柄の真理を探求する学問の下地を作るためです。

そのうえでデカルトは、機械論や宇宙論を展開することになります。

機械論とは、身体を自動機械のようにたとえながら、人体の構造や消化、内臓の動きなどを具体的に説明する手続きです。ここでは、自動機械と人間の違いについての問題も取り上げられていて、AIの話を彷彿とさせます。明治大学教授の齋藤孝さんも「ずいぶんと先見の明がある」と述べています。

宇宙論とは、宇宙の生成と発展のプロセスに関する議論です。デカルトは宇宙空間には微細な物質が充満していて、太陽や地球などは、それらが渦巻き運動をしたことで形成されているという仮説(渦動説)を立て、宇宙の理解を深めようとしました。

それから、デカルトは、諸科学では説明しきれないものとして人間の道徳をあげ、情念論も展開しています。

「驚き」や「喜び」などの諸情念に起きる混乱は、自由意志をよく用いようとする「高邁の心」が救済法になる一方、他方で情念の統御は難しいことから医術もまた必要になるとしました。

簡単に言うと、デカルトは「我思う、故に我あり」からいろんな学問を構築した、ということです。

「我思う、故に我あり」に見えるデカルトの信念

「我思う、故に我あり」の意味をもう一度お伝えします。

「我思う、故に我あり」の意味は、


自分の周りにある事物や事柄のうち、少しでも確かではないと認められるもの(疑う余地があるもの)をどんどん捨てていくと、確かだと言えるのは、確かではないと認めている(疑っている)自分自身だけである


ということを示すものである。

どうでしょう?

最初のときより意味が見えやすくなってきたのではないでしょうか。

では、この「我思う、ゆえに我在り」を打ち出した当時の状況について、もう少しだけお話をして終わりにしたいと思います。

デカルトが生きた15~16世紀、ヨーロッパでは、キリスト教が変わらず絶対的な力を持っており、哲学も同様の影響を受けていました。

13世紀を生きたトマス・アクィナスが「哲学は神学の端女(はしため)」と表現して以降、死後と宇宙の世界は神学にしかわからず、真理は神への信仰によってのみ知ることができるが、哲学は人間や自然のことしかわからない、とされていました(この神学が哲学の上に立つ学問をスコラ哲学と言います)。

一方、今見てきたように、デカルトは「我思う、故に我あり」が真理であるとしました。加えてその原理にもとづいて、つまり人の手で神の存在証明も行いました。

デカルトという人は、近代哲学の父とも言われています。「我思う、ゆえに我在り」を元に展開した議論によって、近代哲学が花開いたとされているからです。

ただ、デカルトの思想が、デカルトが近代哲学の父と呼ばれるくらいヨーロッパの多大な影響を与えたのには、そうしたある意味で真逆の主張もさることながら、別の要因もあるように思います。

● 『方法序説』初版のタイトルページ ※Wikipediaより

Title page of the first edition of René Descartes’ Discourse on Method

デカルトは、『方法序説』を出版する前に、『世界論』という自然学書を出版しようと考えていました。

しかし、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えてカトリック教会から呼び出され、裁判にかけられたことを知り、『世界論』に同じ説が含まれていることから出版を諦めています。

ですので、デカルトは『方法序説』を書いている中でこう思っていたことでしょう。「ガリレオと同じような運命を辿らないように、私は気をつけなければならない」と。

その『方法序説』には、結果として「我思う、故に我あり」のほか、地動説自体は書かれていないものの『世界論』の基礎となる部分が収録されています。

このことから、デカルトは相当の覚悟を持って『方法序説』の執筆に臨んだと想像できます。

力強い思いは、言葉選びや論理の展開に大きな影響をもたらすものです。当時のヨーロッパの人たちに衝撃を与え、デカルトが近代哲学の始まりとなったのには、こうした信念も関係していると思います。

そして、その信念があるからこそ、「我思う、故に我あり」が400年後を生きる私たちの心にも残りやすい。私はそう考えています。

もしデカルトの世界に興味を持たれましたら、まずは『方法序説』を手にとっていただき、「デカルト」に触れてみることをおすすめします。

※参考文献(順不同)
デカルト『方法序説』谷川多佳子訳 岩波文庫
デカルト『省察』山田弘明訳 ちくま学芸文庫
デカルト『哲学原理』桂 寿一訳 岩波文庫
デカルト『情念論』谷川多佳子訳 岩波文庫
小林道夫『デカルト入門』ちくま新書
冨田恭彦『デカルト入門講義』ちくま学芸文庫
谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫
齋藤孝『仕事に使えるデカルト思考』PHPエディターズ・グループ
出口治明『哲学と宗教全史』ダイヤモンド社
田中正人著 斎藤哲也編集・監修『哲学用語図鑑』プレジデント社

※こちらの記事の内容は原稿作成時のものです。
最新の情報と一部異なる場合がありますのでご了承ください。


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