こんにちは。ファッションアナリストの山田耕史です。
「ファッションをもっと楽しく、もっと自由に」というテーマのもと、ブログを中心にファッション情報を発信しています。
「ファッション×お仕事」を題材にしたこちらのコラムでは、様々なファッションアイテムの成り立ちや文化をご紹介しています。
無数に存在している服選びに頭を悩ませている人は少なくないでしょうが、ファッションアイテムにまつわる文化を知っていれば、自分にマッチしたアイテムを選びやすくなるでしょう。また、自分が着ているファッションアイテムの成り立ちを知っていれば、会話のちょっとしたネタとして意外と重宝することもあります。
(本稿の内容は信頼の置ける文献を参照しておりますが、歴史的な内容については諸説あるものもありますのでご了承ください)
チノパンツのルーツはインド
今回ご紹介するのはジーンズと並び、カジュアルパンツの定番アイテムとされるチノパンツです。
僕は以前勤めていたファッション企画会社で長年ストリートスナップの分析をしていたのですが、メンズのパンツで着用率の1位はジーンズ、そして2位のチノパンツはほぼ不動。現在、それだけポピュラーな存在であるチノパンツですが、当然チノパンツにもその時のテクノロジーを駆使して開発された最新鋭の衣料だった頃がありました。
前回のレインウェアの記事に登場したトレンチコート同様、チノパンツも出自はミリタリー。つまり、”軍人というお仕事”にまつわるアイテムで、生まれたのは19世紀と言われています。
19世紀の世界の覇権を握っていたのは大英帝国、イギリスです。18世紀の半ばに始まった産業革命による国力の増大と、ナポレオン戦争によるフランスの失墜により、パクス・ブリタニカと呼ばれる長い繁栄の時代を謳歌していました。
イギリスはかねてから植民地化を進めていたアメリカ大陸に加え、太平洋、アフリカ、そしてアジアへの拡大を進めます。そのひとつがインドでした。
当時、インドに派遣されていたイギリス陸軍の制服のズボンは白色でしたが、戦場で目立ち、しかも汚れやすいことから、現地の軍人が土色に染めたものが、チノパンツの起源とされています。
ミリタリーウェアは何色?
ちなみに、チノパンツで最もポピュラーな色であるカーキ色のカーキは土埃を意味し、その言葉通り、土埃の色である淡い茶色を指します(下記画像の右の色)。
ミリタリーウェアに多く採用されている暗い緑色はカーキ色ではなく、オリーブ色(オリーブドラブ)と呼ぶのが正解です(下記画像の左の色)。
日常生活に溶け込んでいくミリタリーウェア
イギリス軍が生み出したチノパンツは、1937年にアメリカ軍にも採用されました。その後、1941年に”M41戦闘服”としてブルゾンと共に開発されたのが、通称”41カーキ”。現在ヴィンテージアイテムとして高値で売買されているチノパンツです。
戦後、復員したアメリカ軍人の多くは機能性が高く、丈夫で汚れが目立たない41カーキを手放さず、その後の日常生活でも着用し続けました。そうやって、軍人というお仕事の為の服だったチノパンツは、徐々に一般人のカジュアルウェアとして人々の目に馴染んでいくようになります。
エリートたちのための服、アイビースタイル
そんなチノパンツを、日本人が初めて目にしたのはいつでしょう?
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官として厚木基地に降り立ったダグラス・マッカーサー。マッカーサーと言えば、レイバンのサングラスにコーンパイプがトレードマークとして有名ですが、下半身に目をやればツータックのチノパンツを着用していることがわかります。
このときが、チノパンツが日本に上陸した瞬間だという説があります。
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とはいえ、日本で広くチノパンツが知られるようになるのはそれから約20年の年月を要しました。
1960年代、アメリカ東部のアメリカンフットボールリーグに所属するブラウン、コロンビア、コーネル、ダートマス、ハーバード、ペンシルバニア、プリンストン、イエールの8大学には、蔦(アイビー)が絡まる荘厳な雰囲気の校舎の様子から、アイビーリーグという呼び名が付けられました。そして、その在校生やOB、教授たちの服装がアイビースタイルとして人気を集めます。
アイビースーツとも呼ばれるブルックス・ブラザーズのNo.1サックスーツ、この連載の第1回にも登場したレジメンタルタイ、ボタンダウンシャツ、ウィングチップシューズ、そしてコットンパンツ(チノパンツ)がアイビースタイルの代表アイテムでした。
アイビーリーグの各校は格式の高い名門校で、数多くのエリートを輩出しています。ハーバード大学出身のアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディもそのひとり。実業家の家に生まれ、ボストン市長の祖父を持つケネディのように、アイビースタイルは品のあるエリートが選ぶスタイルとして世界に広がっていきます。公の場では常にスーツを着用していたケネディですが、ポロシャツにチノパンツというリラックス感のある服装で休日を楽しんでいる写真が多く残されています。
チノパンツは”世界のトップエリートのお仕事”を支えた服でもあるのです。
● 1960年代の終わりまでに月に有人飛行することを宣言したケネディ。(1961年5月25日) ※Wikipediaより
そんなアイビースタイルを日本に紹介したのが、日本初のメンズファッションブランド、VANの創始者である石津謙介です。1964年頃、東京銀座のみゆき通りを最新ファッションであるアイビースタイルで闊歩する若者たちは”みゆき族”と呼ばれ、一大ムーブメントを起こします。みゆき族によるアイビースタイルの浸透と共に、チノパンツは日本でも一般的なカジュアルアイテムとして知られるようになりました。
それから50年以上経った現在、チノパンツはすっかり定番パンツのひとつに定着しています。令和の日本の若者たちには、みゆき族の時代に戻ったかのようなトップスの裾をウエストにタックインする着こなしが流行中です。
リアルワーカーを支えた丈夫なチノパンツ
ここで話を1940年代のアメリカに戻します。当時、アメリカ陸軍の制服を生産していた企業のひとつがWilliamson-Dickie Manufacturing Company。後のディッキーズです。
ディッキーズの前身となったU.S.オーバーオール社は1918年にアメリカのテキサス州で創業。オーバーオールやワークパンツ、ワークシャツといったワークアイテムの製造を手掛けます。
ディッキーズの代表モデル、”874”が生まれたのは1967年。地元テキサスの石油労働者向けパンツとして開発されました。エリートのお仕事を支えたチノパンツは、アメリカの成長を支えた”リアルワーカーたちのお仕事”の相棒とも言うべきアイテムでもあったのです。
丈夫で価格も手頃な874はワークウェアとしてだけでなく、スケーターやミュージシャンにも愛されるようになります。様々なカルチャーと繋がりが深い874は、ジーンズの代名詞がリーバイス501であるように、チノパンツの代名詞と言っても過言ではないでしょう。
FIT YOU, FIT YOUR JOB
そんなディッキーズのブランドアイデンティティを表すスローガンは、”FIT YOU, FIT YOUR JOB”。「あなたにも、あなたの仕事にもフィットする」という意味です。
このスローガンと同じように、機能性や耐久性を追求したワークジャケットにも、上品な印象のテーラードジャケットにもマッチするチノパンツは、どんな人にもどんな仕事にもフィットするアイテムと言えるでしょう。
現在はディッキーズだけでなく、様々なブランドから個性豊かなチノパンツが提案されています。
是非、自分の好みやライフスタイルにマッチした一本を見つけてみて下さい。
※参考文献
佐藤誠二朗「ストリート・トラッド ~メンズファッションは温故知新」集英社 2018年
デーヴィッド・マークス「AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語 日本人はどのようにメンズファッション文化を創造したのか?」DU BOOKS 2017年
※こちらの記事の内容は原稿作成時のものです。
最新の情報と一部異なる場合がありますのでご了承ください。
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